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2019
03.05

1年が経って

Category: 信仰
虹 web

父が天に帰ってから1年がたちました。

「この1年が守られたことを主に感謝しつつ、父を偲び、記念礼拝を持ちたい」
母の思いがきっかけとなり家族が集まり、主の導きを祈りつつ、2月23日にその時を持ちました。

主の前に家族で出てゆき、心を開き、みことばに耳を澄ませて、
痛みと希望を語り合える時をもてたことは、
私達には大切なプロセスだったのだと思います。
伸之さんが、家族としてぜひこの時を共にしたい、と言ってくれて、
特別なときを持たせていただいたこと、感謝しています。

聖書には、確かに、死者の復活について書かれています。

『ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、
どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
もし死者の復活がないのならキリストも復活されなかったでしょう。
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、
あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。
なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、
私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(コリント人への手紙一 第15章12-19節)』

イエスキリストの復活と私達の復活、その希望を心に、
私達は目を見合わせつつ聖餐の時をもちました。

1年前に父がイエスキリストを信じ、それに連なるように、母と姉がイエスキリストを信じて
私達家族はみんな死からいのちへと移り、家族の再会の希望を信じました。

それから1年、『変わったこと』 と 『変わらないこと』 を感じつつ
母と姉のうちに聖霊が働かれていることを確かに見て、神をほめたたえます。

日本と欧州、体にも弱さが見えてきた母を置いて、離れていることに弱さを覚える時がありますが、
主はいつも必要なときに、どこへでも遣わせて下さる、よきお方です。
神に信頼をおいて、みことばをほめたたえつつ 歩みます。

『神にあって、私はみことばをほめたたえます。
主にあって、私はみことばをほめたたえます。
私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。
人が、私に何をなし得ましょう。

神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。
私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。
あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、
つまづきから、救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、
神の御前を歩むためでした。 (詩篇56:10ー13)』


信仰告白後2018年1月27日 web

父、母、姉が信仰告白をして、
ともに祈りを捧げた後の記念写真
(2018年1月27日)


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2019
02.14

エルサレム

Category: イスラエル
ゲツセマネ

どの時代にあっても世界中から注目され、奪い合われてきた街だけれど、その意味は『平和の街』。
イスラエルでは、昔から人の名前にも、街の名前にも、意味が与えられています。

この街に入る前に、エルサレムを臨むオリーブ山の上からこの地の平和を祈りつつ、歌い、
山を下っていきました。

その麓にあるゲツセマネの園は、イエスが十字架に架かる前に、汗が血のしずくのように落ちるほどに祈られ、自分の願いでなく、神と人との和解、平和を勝ち取ってくれたところ。イエスの祈りの場所。

"「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」
すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。
イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。"
ルカの福音書 22章42~44節

イエスキリストこそが、 平和の君であり、私がとどまるところ。

そして、イエスによって、私はどこに接ぎ木されているのか、その根がどこにあるのか、
思い巡らせながらエルサレムを歩きました。

"ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。"
イザヤ書 9章6節

"エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。"
イザヤ書 11章1節

『わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。』(イエス様のことば)
ヨハネの福音書 15章5節

"枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。"
ローマ人への手紙 11章17~18節


聖書には、木や枝、根、花、植物のたとえを用いて描かれているとことが多くあります。
その草木を見ながら、思い巡らせながら、みことばを反芻していると、私の中で聖書のことばが確かな力となっていきます。

いつか枯れてしまう切り花でなく、イエスにとどまる枝として、根のある木に接ぎ木されているなら、次第に枝は広がり、花が咲き、実を豊かにつけるでしょう。これは大きな希望です。

ゲツセマネ扉

ゲツセマネの園にある『万国民の教会』の入り口扉の上にある窓。
まるで、古いオリーブの根株から、新芽が生えて根から若枝が伸びているみたいに見えます。
神の国がイエスによって全ての国民(万国民)に開かれたから『万国民の教会』と言うのかな。
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2019
01.04

2019年 喜びが溢れますように!

Category: 暮らし
marinobu.jpg

2019年、新しい年を迎えました。
喜びに満ちた一年となりますように!

年末年始に心に留まった聖書の言葉。
"いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)”

「いつも笑っていなさい」とは違う。
笑う=喜ぶ ではない。
だって、いつも笑ってなんかいられない。泣くことだってあるし、沈むときだってある。

「泣いてはいけない」とも、聖書には書いていない。

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ12:15) と聖書には書いてある。

笑っても、そしてもちろん泣いてもいい。それは神様が私たちに与えた豊かな感情。

そして主にあって喜ぶとは、心のうちにイエスを受け入れた喜びと感謝を持ち続けるということ。
主にあって喜びなさい。 それは喜びの泉。

その真の喜びと感謝を持って 
"何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4:6)"

"そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:7)"

そうすれば願いが叶いますって書かれてはいないんだけど、
全ての理解を超えた神の平安(!)が
私たちの心と思いをキリストにあって守ってくれるんだなぁって。
感謝。

この喜びは尽きることのない泉。

過ぎた年、喜びと悲しみ、笑いと涙もいっぱいの年、
恵みの年でした。
新しい1年も、主に期待して歩みます。
いつも主にあって喜ぶ、喜びに満ちた年でありますように!

共にいて下さる方たちに感謝します。
今年もよろしくお願いいたします。

内村まり子
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2018
02.25

父のこと

Category: 信仰
2018022423320681a.jpeg

2月18日に父が天へ召され、2月22日に家族葬をもって父を見送りました。
カルバリー・バプテスト豊田キリスト教会にて、礼拝としての家族葬でした。

普段、離れたところにいる私が、
父のこの世での最後の1ヶ月間を共に過ごせたことが本当に感謝です。
祈りをもって実家へ送り出してくれた夫とミラノ賛美教会の皆様、
支えて下さった皆さまに心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

10年間、癌と戦い、『最後の時は自宅で迎えたい。』
父の願いと同じ思いをもって、家族で看護体制を学び、その時を迎えることができました。
そして、この期間に父、母、姉がイエスキリストを信じ、洗礼を授かり、
永遠のいのち、キリストにある再会の希望をいただいたのです。
今は地域の教会に繋がっていく只中にあります。
それは驚くべき神の恵み、御業でした。

遠くから、近くからの助けと励まし、地域の医師、看護師に恵まれ、
多くの方々の祈りのスクラムが組まれる中、
毎朝、聖書のことばを父に送り、訪ねて下さったご夫婦、聖書を運んでくださった義姉夫婦、
吉川牧師(シオンの群中野キリスト教会)、能勢牧師(カルバリー・バプテスト豊田キリスト教会)、伸之さんという3人の牧師が関わってくださり、
父の病床にて父と母と姉は洗礼を受けました。
そして数時間後に父は母に光るような満面な笑顔のイメージを一瞬見せた後、
穏やかな顔で天に召されたのです。

家族を愛し、夫婦仲のよかった両親で、
晩年は『マーコ(母のこと)は俺の宝だ!』と母に再告白。
シャイでしたが、なかなかロマンチックな父でした。

大好きな父の姿が見れなくなるのは、話せなくなるのは大変寂しく、
ことに夫婦ひとつであった母の哀しみはひとしおです。
礼拝として開かれた家族葬にて、よみがえりのキリストにある希望のメッセージを受け、
母は父との『キリストにある再会の希望』を宣言し、
姉も『過去形でなく、進行形で幸せです。』と語りました。
主の愛と希望に包まれた葬儀でした。

これからも色々なことに時間はかかると思いますが、
私たちは一歩一歩、主とともに前に希望をもって歩んでいきます。
今後も、どうぞよろしくお願いいたします。

いのちと死、喜びと悲しみ、いろいろな心の波がありますが、
神様のなさることは、本当に時にかなって美しく、
奇しくも2月22日は私の洗礼記念日でもありました。
私たちを導かれる神様は本当に慈しみ深く憐れみ深いお方です。
私たちの主の御名を心からほめたたえます。

わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。ヨハネ11:25

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2017
08.26

トーマス教会 (ドイツ・ライプツィヒ)

Category: キリスト教
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今年はルターの宗教改革500年記念の年。ルターと、そしてバッハにもゆかりのあるこの地に来ることができてとても感慨深く、バッハが晩年に長く音楽監督を務めていたトーマス教会で礼拝捧げることができて感謝が溢れました。

バッハは生まれた時からルターの讃美歌や教えの中で育っていたけれど、生まれながらに信仰を持っていた人などいなくて、バッハも、自分の信仰が自動的に、当たり前にあるものでなく、神と出会い、自分が与えられている良きもの、音楽をもって神に仕える一生を歩んだ人でした。同じ時代を生きる人との出会いも特別なもので、バッハにとってはブクステフーデという音楽家(1637頃ー1707)が、信仰的にも、音楽的にも転機となる大きな出会いだったのだと思う。

楽譜の初めにはJ.J(イエスよ、救い給え)と書き記し、曲の終わりにはS.D.G(ただ神に栄光あれ)と記したバッハ。自分の力でなく、神に助けを求めて音楽を紡ぎ始め、ただ神に栄光を捧げることを心に刻んで音楽を閉じる。
毎日の営みがこんな風に生きられたら、と思います。。。

バッハはこのライプツィヒで晩年を過ごし、トーマス教会の音楽監督として、芸術的に、かつ共同体にも共感する賛美と礼拝を目指しました。でも政治と権力のうずの中で、葛藤しながら、自分自身がどう歩むべきなのか、聖書を熱心に読み返し、神様からの答えを求めていきます。バッハが用いた聖書にはいっぱいの書き込みがしてあります。

バッハは一生で1000曲以上の作品を生み出した超職人タイプの音楽家でしたが(依頼人の必要に応えるように仕事をするタイプで、ちなみにベートーヴェンは138曲で自分の思うように力を注いで作曲していったタイプ)、最晩年に作曲したフーガの技法やロ短調ミサは、依頼を受けたからでなく、バッハは、自分の求めとして作曲している。特にロ短調ミサは、ルター派の礼拝のためというわけでもなく、カトリック典礼音楽から受け継いでいる信仰の音楽を取り入れる部分もあり、「見えざる教会(普遍的教会)」イエスキリストに繋がる一つの教会を見て、バッハが神に喜ばれる捧げる賛美と礼拝を求め続けた作品なのだと思う。

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そんなことを考えながら、トーマス教会での賛美礼拝を備えていきました。このことは私にとって大きな学びとなり、大きな恵みとなりました。また、夫の伸之さんがルターが説教した講壇に立ちメッセージを語り、バッハが仕えたところで賛美の奉仕をさせて頂けたことは大切な経験となりました。神様、ありがとう。
(そして、ミュンヘンの日本語教会の方達、その他にも多くの方が沢山の備えをして下さいました、感謝します。)

トーマス1

これも主が与えて下さったひとつの経験。
扉が開くとそこにひとつの部屋がある、その部屋での宿題が終わると、次の扉が見えてくる。扉が開くまでは次の部屋が見えないから、予測できない。でも、開いたら、必ず次のステージが待っている。この時代に与えられている出会いを大切にして、一歩、一歩、ていねいに歩こう。

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