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2014
03.22

山上の垂訓の丘

Category: イスラエル
山上の垂訓

2月10日 山上の垂訓の丘へ

このあたりでイエスキリストは群衆に8つの幸い(山上の垂訓)について語ったと伝承されている。

ガリラヤ湖が望めるこの丘はすり鉢状になっていて、とっても音が響く地形になっているとのこと。
ある時、ガリラヤ湖上で漁師が話している声が、この丘まで響いて聞こえたこともあると言う。
(すり鉢型ホールのような効果!)
おそらくイエスは下方から上方に向かって語られ、声が群衆に響きわたって皆の耳に届いた。

山上の垂訓絵

マタイ5:1-16
この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

山上の垂訓教会

1936年にイタリア人が建てた教会。(フランチェスコ会が管理)
8角形の教会。それは【8つの幸い】をあらわすため8角形に建てられたとのこと。
ムッソリーニ時代にした一つのよいこと、、と言われているそうな。

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2014
03.21

ガリラヤ湖上

Category: イスラエル
ガリラヤ湖4

2月10日 ガリラヤ湖上にて

この日は夫が熱を出してしまい、心苦しくも、、、
夫をホテルに残して私はガリラヤ湖へと旅立ちました。う。。申し訳ない。でも行きます。
ホテルに残られるスタッフの方もいてくださるし。。。
出発ー!



穏やかな湖面

ガリラヤ湖3

かもめと戯れ嬉しそうなヨウコさん(エレガント)

mariko かもめ

かもめに、ただ夢中なワタシ(必死!)

船上ではメシアニックジュー(イエスキリストを信じるユダヤ人)の方がヘブル語で
アメージンググレイスを歌って下さり、その賛美に感動しました。

ガリラヤ湖は、イエスキリストが弟子と共に過ごし、弟子を訓練した場所でもありました。
次の聖書箇所はまさにそんな場面。ここからメッセージを受けました。

マタイ14:22-33
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。


信じることは、一歩踏み出すこと。弟子のペテロがイエスを信じて、舟の上から水の上に足をのせ、水の上に体重を移動させたその時に信仰が働いた。つまり水の上に足をのせようか、どうしようか迷っているときはまだ信じていないとき。足を一歩踏み出し、体重移動した瞬間が信じたとき。そして、水の上を歩いて神の力を体験する。でも、イエスから目を離したその時に沈みかける。でも、イエスは、腕をつかんで助けて下さるお方。

私は「無理・・・わたしには出来ない。」と思いながらも、ドキドキしながら「えい!」と主を頼りに一歩踏み出してチャレンジしてみる。すると、神の力が働き、神が見せて下さる世界がある。
でも、すぐ不安になって沈みかける。。。すると「ほら。自分の力を頼ろうと自分で不安になっている。私を見なさい、信じなさい。」と主の声がする。
私の信仰はこのくりかえし。主と私の弟子訓練。

ガリラヤ湖1

ガリラヤ湖上を走る風、陽の光が湖水に映るきらめき、鳥の鳴き声を深く記憶に刻みたい。ずーっと憶えていたい。変貌山(ヘルモン山)を後ろにしてヨウコさんと記念写真。

豚がおちた崖

※おまけ※
上の写真にある崖は、汚れた霊に乗り移られた2千匹ほどの豚の群れが、がけを駆け下り、湖へなだれ落ち、おぼれたという崖(マルコ5:8-13)




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2014
03.19

ガリラヤ湖畔

Category: イスラエル


2月10日 ガリラヤ湖の日の出
(人の声入りで申し訳ないです。でも鳥の声が印象的です。雰囲気だけでも。)

主が弟子たちに出会い声をかけ共に過ごした場所。
そして復活された朝に弟子たちと再会した約束の場所。
美しくて心癒される不思議な平安の水辺。

ガリラヤ湖 youko

「イスラエルに一緒に行こうよ!」と何年も前から誘って下さり、
ひっぱってくれたヨウコさんと一緒に。


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2014
03.17

ベテ シャン「父と子の回復」

Category: イスラエル
ベテシャン

2月9日 ベテ シャンへ

この町はデカポリス(ユダヤの中にあるギリシャ、ローマの異邦人の町)のひとつだった。
ローマの町もそうだけれど、「大衆にはパンとサーカス(見世物)を与えておけば、、、」というように、円形劇場があったのも特徴的。

209ベテ・シャンの円形劇場跡1

遺跡は10層からなり、時代によって偶像と思われるものも出土されていたり、教会跡も発掘されていて、混沌とした歴史、町であったのでしょう。

旧約聖書では、イスラエルの第一番目の王サウルが死んだあとに、ここの城壁に晒されたことが記されている。

(サムエルⅠ31:10-13)
彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。
ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、
勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。
それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。


新約聖書では、イエスキリストが放蕩息子のたとえ話をしている箇所がある。
ある息子が父親に財産分与(生前贈与)を申し出、父親はそれに応じたので、息子は相続財産を得て遠い町に出て行くのだ。その「遠い町」というのは、まさに異邦人の町デカポリスのひとつであった。デカポリスで息子は女遊び、賭け事、等々、、、の放蕩をしつくし、全財産を失う。挙句の果て、異邦人の飼っている豚(ユダヤ人にとっては汚らわしいと言われている)の世話をするようになり、我に返り、故郷の父に謝ろう、、と父のもとに戻ってゆくときに、父がその息子を見つけ走り寄って息子を抱きしめ息子の帰りを祝うのだ。駆け寄ってゆく父の愛の大きさ・深さの中で父と息子の関係が回復されてゆくお話し。

このお話し、海外在住者にはよく心にしみる話なのだ。
そして、私も胸が苦しくなるお話しであり、でも、父の愛、父なる神の愛の大きさを知り、帰るべきところへ帰ることの幸せに気づかされるのだ。
『お帰り~!』という言葉は、どれほど温かい言葉かと。。。

(ルカ15:11-24)
またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。


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2014
03.16

エン フェシュカ「自然界の回復」

Category: イスラエル
エンフェシュカ2

2月9日 エンフェシュカへ 

死海のほとりに真水の湧く泉があるという。

エンフェシュカ3

荒野のオアシス。

エンフェシュカ4

思わず足を泉に浸して、憩いのひととき。

エンフェシュカ5

死海には塩分が強く魚が住めないのに、
なんと、ここには魚もすでに住んでいるのです!!

エンフェシュカ1

死海のほとりのこの地は塩気があって、生えている草を口にしてみたら塩味だったけれど
泉から真水が流れて出て、土地が回復し始め、葦や草木、緑豊かな草木に覆われています。
いつの日か、この地一体が豊かな漁猟場になると聖書には預言されているのです。

(エゼキエル47:7-12)
私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。


※エン・エグライムとはエン・フェシュカのこと


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2014
03.14

お祈りに感謝します。

Category: 未分類
han.jpg

3月4日に追突事故にあいましたが、夫婦ともども、ハンナも一緒に守られて、3月11日ミラノの我が家へ戻りました。
(詳しくは主人のブログに記されています。→Tokyo-8=MILANO 2014年3月8日-12日)
皆さまにご心配いただき、お祈り、あたたかいメッセージや治療についてのアドヴァイス、情報を心から感謝いたします。多くの慰めと励ましを頂いており、本当にありがとうございます。

まだ、これから残されていること(体の治療法・車・保険・弁護士との相談)などがありますが、守られていることを本当に感謝します。

予定変更でご迷惑をおかけしたり、思うように進まないこと、体のこと、ミラノに戻るまでも焦りやストレスに心奪われる時がありました。日曜日、夫が開いてくれた聖書箇所:詩篇121篇が与えられて、その御言葉に着地することができ、ようやく現状を受け入れることができるようになりました。自分で動かず『待つことも主に聴くこと』『助けは主から来る』『全ての主権は主にある』ということを改めて教えられています。

私はどうやら、ジタバタしてしまう傾向があるようです。

今与えられている命、関係、環境はあたりまえでないこと。
常々思ってきたはずなのに、今回の事故を通して、このことを深く心に刻みなおしました。
そして1秒後の世界を、自分は知ることもできないことを悟りました。

誇るものなど何もなく、与えられてきたものばかり。
今、命与えられて、生かされていること。これは現実。
ひとりでなく、家族がいること。
与えられてきた出会いがあること。
それら全てを与えてくださり、守って下さる神様がいること。
支えてくださる方達がいること。

あたらしい命を与えていただいた思いで、日々を歩みます。
どうぞ引き続き、お祈りいただけましたら幸いです。

3年前の東日本大震災の被災地、被災者の方々のことも思いつつ、
回復させて下さる神様を仰ぎます。

【詩篇121篇 都上りの歌】
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。


yama.jpg


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2014
03.13

クムラン:死海写本(ことばの回復)

Category: イスラエル
クムラン

2月9日 クムランへ

1947年、あの洞窟の中で、2000年以上前の聖書(巻物)が見つかった。
(紀元前250年から紀元70年頃に羊皮紙に写本された巻物)
よくぞ、文字が消えなかった、、、と思う。
(気温・乾燥度、完璧なまでの保存状態だったのだと。)

写本レプリカ

死海写本と言われるその巻物は、洞窟内に壺に収められ隠されていたとのこと。(写真はレプリカ)
遊牧民の子供が子ヤギを追って、その洞窟に入ったことがその大きな考古学的発見の第一歩となったのだそう。
クムラン共同体エッセネ派(ユダヤ教の1グループ)が、写本を日々の日課にしており、その共同体によって写本され、洞窟に隠された。

クムラン1

紀元1世紀頃(イエスキリストが生きていた時期)、クムラン共同体エッセネ派の人々が日々の営みをしていた場所の遺跡。

洗礼漕

クムラン共同体は清めを大切にしていて、一日に何度も水による清めを行っていたとのこと。
洗礼者ヨハネもこのクムラン共同体・エッセネ派に属していたのではないかという説がある。
(上の写真は水槽跡のひとつ)

19世紀にシオニズム運動、散らされたユダヤ人たちがパレスチナ、イスラエルに戻りはじめ、
日常語として使われなくなっていたへブル語が、日常語として使われるようになり、ユダヤ人のことばヘブル語が回復した。
そして1947年に、死海写本の発見があり、ユダヤ人の神の言葉が回復した。
1948年に、イスラエルが建国し、ユダヤの国が回復。

この3つの回復のタイミングは実に目をとめるべきこと。
神と契約を破って約束の地から吐き出されたユダヤ人が、回復のプロセスにあることを見ることができる。神様が「神の民ユダヤ人を祝福する」計画と約束は今もなお続いているのだから。
そして、異邦人である私達は、イエスキリストによって、接ぎ木とされて神の子となり、その祝福を預かる者とされたのだから。


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2014
03.12

洗礼者ヨハネの荒野(ユダの荒野)

Category: 聖書と音楽
バプテスマのヨハネの荒野

2月9日 洗礼者ヨハネの荒野へ

荒野をみるとき、3年前の東日本大震災の被災地が思い起こされ重なります。

ここは新約聖書に出てくる洗礼者ヨハネが人々に洗礼を授けていたヨルダン川沿いの荒野、
ここが、洗礼者ヨハネが「主の道をまっすぐにせよ。」と叫んでいた荒野。

ヨハネの福音書1:23
彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」


旧約聖書のイザヤ書に、荒野で叫ぶ者について預言されています。(イザヤ40:3)

イザヤ40:1-5
「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
荒野に呼ばわる者の声がする。
「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が語られたからだ。」


そして上の聖句は、ヘンデル≪メサイヤ≫のまさに冒頭に語られ、歌われることばでもあります。
(シンフォニアを除く第1~3曲目)

そして、洗礼者ヨハネはイエスキリストを初めて見た時に『見よ、世の罪を取り除く神の子羊。…』と指し示しました。(第2部1曲目)

ヨハネ1:29
その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。…」


紀元前8世紀頃に書かれた預言書イザヤ書のとおり、紀元1世紀に洗礼者ヨハネが荒野に現れ、イエスキリストが現れ、その預言は成就されている。神の慈しみと憐れみ、人々の罪からの救いと回復、癒しの計画とそのプロセスは歴史に確かに刻まれている。18世紀には、信仰者ヘンデルが神から頂いた音楽の賜物をもって、メサイヤ(救世主キリストのこと)を伝えるために冒頭に語ったのが、この荒野でのできごと。そんなことを考えていると、、、心がいっぱいになってゆきます。

バプテスマのヨハネの荒野1

3月11日。
3年たっても、まだ解決しない問題がたくさん残る日本の状況、被災地、被災者の方々を思うとやるせない気持ちになるけれど主の道が整えられ、回復し、いつしか主の栄光が表されるように回復の神様を仰ぎます。
>メサイヤのアリア(ブログ2011年5月5日)とともに。
I Know That My Redeemer Liveth!  George Frederick Handel's "Messiah".

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2014
03.09

死海

Category: イスラエル
死海 1

2月8日 死海へ

想像していたよりも大きかった。海のように大きくて、美しい青い海。
海抜マイナス400メートル、世界で一番低い場所。
死海の水は塩分が約30パーセント。

生物がほぼ生きることのできない湖ゆえに「死海」と呼ばれることになったのかな。
死海に流れ注ぐ川があるけれど、死海から流れ出てゆく川はないから、
水はそこに流れ着くとそこから出ることはない。

旧約聖書では「塩の海」と書かれている。
「塩」は昔から貴重なもので、食べものを腐らせない働きがあるし、塩気、味をつける調味料としても大事な役割。ある意味、私は「宝の湖」と言ってもよいと思う。(死海にある塩分を含んだ泥は、今も化粧品や石鹸等のプロダクトとしても、とても人気がある。)

〈マタイ5:13〉
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。
もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

死海2

だんだん死海の水位が低くなっているとのこと、以前はこの線まで水位があったとのこと。

パームヤシ

死海近くの町エリコ近辺では、なつめやしの農園もたくさんありました。

ピスガの頂き

お天気が良かったので、死海の向こう側、ヨルダン側には、ネボ山(ピスガの頂)が見えました。
旧約聖書で、エジプトから民を連れ出したモーセが主からの約束の地カナンに入れずとも、しかし、約束の地をはるかかなたに主に見せられた山の頂。40年旅を続け、最後にモーセは、あそこからどんなに焦がれる思いをもって、約束の地をはるかかなたに見渡したのだろう、、、と思う。

〈申命記32:48-52〉
この同じ日に、主はモーセに告げて仰せられた。
「エリコに面したモアブの地のこのアバリム高地のネボ山に登れ。わたしがイスラエル人に与えて所有させようとしているカナンの地を見よ。
あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に加えられたように、あなたもこれから登るその山で死に、あなたの民に加えられよ。
あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現わさなかったからである。
あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へはいって行くことはできない。」

〈申命記34:1-5〉
モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂に登った。主は、彼に次の全地方を見せられた。ギルアデをダンまで、
ナフタリの全土、エフライムとマナセの地、ユダの全土を西の海まで、
ネゲブと低地、すなわち、なつめやしの町エリコの谷をツォアルまで。
そして主は彼に仰せられた。「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう。』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」
こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。

死海 3

塩分が高いだけに、浮力も大きく、ほんとうに浮かびました。


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2014
03.04

マサダ

Category: イスラエル
マサダ

2月8日 マサダへ

死海より400メートル高い急勾配の丘の上にある3つの要塞跡。
73年にユダヤ人たちがローマ帝国を相手に最後の攻防を繰り広げたところ。
ロープウェイを使って3段階の要塞へ登って行きました。

ヘロデ王の砦、宮殿、ローマ浴場、たくさんの食糧倉庫があり、
70年にエルサレムが陥落した後、960人以上のユダヤ人がこのマサダに3年も立てこもった。
しかし73年にローマ兵によりマサダは陥落。
その前夜に、隠れ残った2人の婦人と5人の子供を除く全員が自決した悲劇がある。
「唯一の真にして義なる神以外のしもべにはならない、戦いに負けて、ローマ人のしもべになるくらいならば、自由の身のまま、栄光ある死を選ぶことができる・・・」

イスラエルでは、こんな悲劇がもう起ってはならない。
「ノー・モア・マサダ」というのだと聞いた。
「ノー・モア・ヒロシマ」と私達日本人が刻んでいることばと通じるものがあると思った。

マサダ2

一番上の砦からの眺め

死海

そして反対側には死海が見えます。

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