--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
09.01

待ち望むこと

Category: 信仰
2016 9月

8月31日、今日で夏が終わります。
「御国を待ち望む」ということについて思い巡らし、痛みと希望を持ちつつ過ごす夏でした。

「御国」とは、何なのでしょうか。

毎日のように、心を痛ませるニュースが飛び込んできます。
今、世界はテロ、難民問題、金融危機、人と人、国と国、民族と民族が敵対する傾向がみられ、病に悩ませられ、また自然世界においても、地震、台風、竜巻、温暖化、私が知る範囲を見ても、世の中は悪い時代に向かっているように思えて、そのことに目を留める時に、心が痛み暗くなります。

将来、この世界はどうなっていくのでしょう。
クリスチャンは、この先の望みを持って、待っています。「神の国(御国)」がやって来ることを待っています。聖書にはやがて「神の国」が来ることが書かれています。どんなところなのでしょうか。

「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と球磨とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く(イザヤ11:6-10)」

私は上の聖書箇所が大好きです。読むたびにその光景を想像し、思いを馳せ、その望みに心が引き上げられる思いになります。イタリアに来て、初めてミサでオルガンを弾くように導いてくれたドン・マルコ(故)という神父さんも、この聖句こそがクリスチャンが目指す、理想としているものだよ、と言っていました。今、ようやく、そのことが見えるようになり、やがて本当にその時が来ることを理解できるようになりました。

この「神の国」に入る鍵が、私達の罪のために十字架で死なれて復活されたイエスキリストであり、この国を治める方です。イエスキリストが再びこの地に来られる、と聖書に書かれていて、その時に、痛んでいる地が回復して、悲しみも涙もない世界がやってくると聖書に書かれています。

明日は9月1日。欧州では新しい年度が始まります。この世の事象に目を向けつつ、御国を待ち望み祈りつつ、でも、ただ待っているのではなくて、日々すべきことを判断して、毎日の営みを丁寧にしながら歩んでいきたいと思います。新年度のスタート!




スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。