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2017
08.26

トーマス教会 (ドイツ・ライプツィヒ)

Category: キリスト教
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今年はルターの宗教改革500年記念の年。ルターと、そしてバッハにもゆかりのあるこの地に来ることができてとても感慨深く、バッハが晩年に長く音楽監督を務めていたトーマス教会で礼拝捧げることができて感謝が溢れました。

バッハは生まれた時からルターの讃美歌や教えの中で育っていたけれど、生まれながらに信仰を持っていた人などいなくて、バッハも、自分の信仰が自動的に、当たり前にあるものでなく、神と出会い、自分が与えられている良きもの、音楽をもって神に仕える一生を歩んだ人でした。同じ時代を生きる人との出会いも特別なもので、バッハにとってはブクステフーデという音楽家(1637頃ー1707)が、信仰的にも、音楽的にも転機となる大きな出会いだったのだと思う。

楽譜の初めにはJ.J(イエスよ、救い給え)と書き記し、曲の終わりにはS.D.G(ただ神に栄光あれ)と記したバッハ。自分の力でなく、神に助けを求めて音楽を紡ぎ始め、ただ神に栄光を捧げることを心に刻んで音楽を閉じる。
毎日の営みがこんな風に生きられたら、と思います。。。

バッハはこのライプツィヒで晩年を過ごし、トーマス教会の音楽監督として、芸術的に、かつ共同体にも共感する賛美と礼拝を目指しました。でも政治と権力のうずの中で、葛藤しながら、自分自身がどう歩むべきなのか、聖書を熱心に読み返し、神様からの答えを求めていきます。バッハが用いた聖書にはいっぱいの書き込みがしてあります。

バッハは一生で1000曲以上の作品を生み出した超職人タイプの音楽家でしたが(依頼人の必要に応えるように仕事をするタイプで、ちなみにベートーヴェンは138曲で自分の思うように力を注いで作曲していったタイプ)、最晩年に作曲したフーガの技法やロ短調ミサは、依頼を受けたからでなく、バッハは、自分の求めとして作曲している。特にロ短調ミサは、ルター派の礼拝のためというわけでもなく、カトリック典礼音楽から受け継いでいる信仰の音楽を取り入れる部分もあり、「見えざる教会(普遍的教会)」イエスキリストに繋がる一つの教会を見て、バッハが神に喜ばれる捧げる賛美と礼拝を求め続けた作品なのだと思う。

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そんなことを考えながら、トーマス教会での賛美礼拝を備えていきました。このことは私にとって大きな学びとなり、大きな恵みとなりました。また、夫の伸之さんがルターが説教した講壇に立ちメッセージを語り、バッハが仕えたところで賛美の奉仕をさせて頂けたことは大切な経験となりました。神様、ありがとう。
(そして、ミュンヘンの日本語教会の方達、その他にも多くの方が沢山の備えをして下さいました、感謝します。)

トーマス1

これも主が与えて下さったひとつの経験。
扉が開くとそこにひとつの部屋がある、その部屋での宿題が終わると、次の扉が見えてくる。扉が開くまでは次の部屋が見えないから、予測できない。でも、開いたら、必ず次のステージが待っている。この時代に与えられている出会いを大切にして、一歩、一歩、ていねいに歩こう。

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