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2014
04.13

棕櫚の主日 (受難週)

Category: イスラエル
十字架

今日は棕櫚の主日、受難週が始まる日です。

イエスキリストが十字架に向かうため、都エルサレムに入城されたことを記念する主日です。
それは、まさにユダヤ人のお祭り『過越しの祭り』を迎えるときでした。

ヨハネ12:12-13
その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。
「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」


イエスキリストはどのようにエルサレムに入城されたのでしょう。
どのような姿で、どのように迎えられ、どのような心で入城されたのでしょう。
イエスの生涯のなか、どのような時期にあったでしょうか。

イエスは、ガリラヤ湖周辺で弟子と充分な時間を一緒に過ごし、弟子訓練も終盤に差し掛かり、ついにペテロが信仰告白をした後の時のことです。ペテロの信仰告白後、イエスはご自身が捕えられ死刑に定められ十字架にかかること、3日後によみがえることを弟子達に伝え始めました。

弟子達はそのことをどのように理解していたでしょうか。

イエスは弟子達と過ごしながら人々を教え、目の見えない人、足の悪い人を癒し、奇跡をおこない、ちまたでは有名人となっていました、あの人こそがローマの支配から解放してくれる救い主ではないかと、王ではないかと民衆は期待して人々の噂になっていたことも想像できるでしょう。そんなスーパースターのようなイエスを師匠とする弟子達は、そのことを誇りにも思って、さらに弟子の中で誰が偉いのか、という論議をする始末でした。

オリーブ山

イエスがよく休まれたところ、弟子達と過ごされたオリーブ山。イエスはこの山のふもとに下りエルサレムに入城していきます。

ライオン門(羊門)

城壁に囲まれたエルサレム、オリーブ山のふもとにはエルサレムに入るためのライオン門(別名・羊門)があります。屠られる神の子羊、イエスキリストが入っていった門として語り継がれています。

マタイ21:1-17
それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。
「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、
「この方は、どういう方なのか。」と言った。
群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。
「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」
イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」
イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。


エルサレムに入城するイエスを見て、大歓喜しイエスキリストをほめたたえる民衆、弟子達。
自分達の上着を敷物とし、棕櫚を道に敷き、イエスの通る道を作り、大騒ぎする人々。
そんな中、宮(神殿内)で物の売り買いをする者達を追い出し、怒りをあらわにされるイエス。
私の家、祈りの家が強盗の巣になっているといって宮を清めるイエス。
そのようにごった返しているようにも思える宮の中で弱い者に憐みを示し、いやされるイエス。
子供を尊ぶイエス。
民衆と子供までもがイエスをほめたたえるのをみた祭司長達が腹を立てて、イエスに殺意を覚えていること。

イエスの心はどうだったのだろう。

ルカ19:41-48
エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、こう言われた。
「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、どうしてよいかわからなかった。民衆がみな、熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである。


アア、エルサレム

オリーブ山の中腹にある『涙の教会』から見たエルサレム。
イエスがここから都エルサレムを見て泣いた。と言われている場所に建てられた教会。

AD70年にエルサレムがローマ軍によって陥落されることを、すでにイエスはここで見て、涙を流された。平和の君であるイエスを受け入れずにエルサレムから吐き出されたイスラエル人を思い、涙された。

様々な立場にある人々の感情、思惑が混沌として見えるこのイエスキリストのエルサレム入城。

私自身はどの心をもつ者なのだろう。
群集心理に流され民衆の心になりうる自分、
祭司長達の心にもなりうる自分、
弟子達のように色々な心をもちつつも、裏切る経過を経ても、主にゆるされ、イエスと共に居続けることを選択しつづけてゆく自分。

今日から受難週。
十字架に向かうイエスキリストから目を離さず、今の自分の心に問われること、重ね合わせてゆくこと、刻まれることを受け取っていく1週間にしたいと思う。
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