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2014
04.20

聖金曜日(受難週)

Category: イスラエル
via dolorosa

ヴィア ドロローサ(悲しみの道)
イエスが十字架を背負って歩いた道。

venerdi santo 1

十字架を背負い、ゴルゴダの丘まで歩まれたイエスキリスト。

via dolorosa 2

口をひらかずに、ただ、黙っていたイエスキリスト。

イザヤ(53:7-12)
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。


エルグレコ

苦しみを負ったのに満足したイエスキリスト。
エル・グレコの『十字架を抱くキリスト』は、このように満足している顔をしている。
平安な顔をしている。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


十字架の向こうに、私達の救い、いのちを見ておられた。
罪はなかったのに、私達の罪を負うために身代わりとなって
自ら十字架を背負い、ゴルゴダの丘まで登り、十字架の上で息を引き取られた。

十字架からおろされたイエスの岩

十字架上で息をひきとられ、十字架から降ろされた後、この石のうえにイエスは横たえられた、と言われている石。

十字架からおろされた岩2
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