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2014
09.23

グローリア

Category: 聖書と音楽
久しぶりにバロックオーケストラ≪ラ・リソナンツァ≫に加わらせて頂き演奏してきました。
プログラムは、ヘンデルのカンタータ、コレッリのコンチェルト・グロッソ、そしてヴィヴァルティのグローリア。

コーラスは≪コスタンツォ・ポルタ≫。
グローリアではコーラスと一つとなって、神様に捧げる気持ちをもって演奏しました。

ヴィヴァルディのグローリアは、イタリアではよく演奏されます。
歌詞は、カトリックのミサ典礼文(通常文)となっていて
その言葉に音がつけられて神様をほめたたえる歌となります。

一文一文がひとつひとつの曲となり、ソリストやコーラスがそれらの曲を歌うとき、
言葉にふさわしく表現され、告白されて
さらに、会場は残響の多い教会だったこともあり、神様をほめたたえるこの歌詞と音楽が
本当に美しく響き渡りました。

グローリア2

Gloria in excelsis deo.
いと高きところの神の栄光。

Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
それは、地に平和をもたらし、人に良き行いをもたらす。

Laudamus te. Benedicimus te. Adoramus te. Glorificamus te.
主を讃え、主を誉めよ。主を畏れ、主を崇めよ。

Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
主の大いなる栄光のもとに感謝し捧げ。

Domine deus, rex caelestis, deus pater omnipotens.
主なる神、天上の王、全能の父なる神。

Domine fili unigenite, Jesu Christe.
主なるひとり子、イエス・キリスト。

Domine deus, agnus dei, filius patris.
主なる神、神の仔羊、父の御子。

Quitollis peccata mundi, miserere nobis.
この世の罪を取り除き給いしもの、我らを憐れみたまえ。

Quitollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
この世の罪を取り除き給いしもの、我らの願いを聞き入れたまえ。

Qui sedes ad dexteram patris, miserere nobis.
父の右に座し給うもの、我らを憐れみたまえ。

Quoniam tu solus sanctus, Tu solus dominus.
あなたこそが聖なるもの、あなたこそが主。

Tu solus altissimus, Jesu Christe.
あなたこそが崇高なるもの、イエス・キリスト。

Cum Sancto spritu, in gloria dei patris, Amen.
聖霊とともに、父なる神の栄光のもとに。アーメン。


何かの手違いで楽器のトラブルもありましたが、
良くないシチュエーションの中で最善を尽くす、、、師であり、指揮者のボニッツォーニ氏の姿勢を
垣間見て、学ばされました。

仕事を通して音楽家の友人達と、このように一緒に演奏しながら過ごす時が与えられて
関係を続けて行けることは、感謝だなぁ。と思います。
人生の中には色々な時期があって、良いときも悪いときもあることを共に知り、
気にしあうことができるのは、そろそろこの年になると、宝のように思えるようになりました。
そして日本人の音楽家のお友達もオーケストラに2人入っていて
リハーサルの時から、また旅も楽しく過ごすことができて、本当に感謝でした。

グローリア3

場所はリミニという海辺の町。
ちょっとした時間を見つけて、皆で浜辺の散歩。
海の町は風が穏やかで、癒されます。

グローリア

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2014
05.15

ヨッパ(イスラエル旅行最終日)

Category: イスラエル
ヨッパ

2月13日
イスラエル旅行、最終地はヨッパ。

シモンの家

〈使徒9:43,10:9-16〉
そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。

その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時頃であった。
すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。
見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。
その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。
そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」という声が聞こえた。
しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。


新約聖書『使徒の働き』でペテロがシモンの家に滞在し3回の不思議な夢を見た地。
『神がきよめた物をきよくないと言ってはいけない。』

これはいったいどういうことなのだろう。

神様がよし!とされていることを、私がだめだししたりしていないだろうか。
心を狭くしたり、慎重になりすぎて見誤ったり。。。
いつの間に自分の価値観や習慣で、物事を、人を判断してしまう時、このことばが思い出されるときがある。
『神がきよめた物をきよくないと言ってはいけない。』

シモンの家2

旧約聖書ではヨナ書にもヨッパの地での出来事が記されている。ヨッパは新約、旧約聖書どちらにおいても異邦人(ユダヤ人以外)伝道の開かれた場所であって、私達はその文脈上にある。ここから私に十字架の福音は伝わってきました。

ヨッパ1

♪ ベヘヌー シャローム アレヘム ♪
この晴れた日に結婚式を挙げたカップル!
一緒に旅してきた皆さんと、祝福の歌を歌いました。

そして、いよいよ旅の終わりにパーティのひととき。
団長の一声により、一曲ピアノを弾かせていただきました。

ヨッパ打ち上げ

この旅はすべてが特別な体験でした。
思いがけず旅中の賛美リードを担うこととなり、でもなかなか踏み出せなかったり、、
色々な意味で私にとっては大きなチャレンジの旅となりました。
主は生きておられます。聖書の知識と歴史を学ぶに留まらず、今生きて語られる神さまと対話(交渉?)し続けることとなり、旅行中は全てがフルでした。
そして、まだまだ自分が足りないものであり信仰も小さいものだということを知りました。

3日間ほど旅を続けた時に、もう1か月もイスラエルにいるような気持ちになりました。
イスラエルを去るときは、何とも言えない淋しさとまたこの地に来る期待が同時に心に入り混じりました。そして、イタリアに戻った途端、イスラエルが恋しくなりました。

招かれないと来ることができない土地。

招いてくださった主に感謝。誘ってくださった陽子さんに感謝。夫と行けたことに感謝。
リードしてくださった団長N先生に感謝。夫のために薬を分けて下さった方に感謝。
みなさんに感謝。

私にはいくつかの宿題が残っています。残っているということは、続きがあるということ。

期待をこめて、イスラエルに向かって、シャローム シャローム シャローム。

シャローム


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2014
05.14

エルサレム

Category: イスラエル
エルサレム

2月12日
エルサレムへ

イスラエル旅行も終わりに近づき、エルサレムにいよいよ入城する日。
エルサレム、ヴィア・ドロローサ(イエスキリストが十字架にむかって歩いた道)については受難週に書きました。今はその他、印象に残っているところを忘れないように書きとめようと思います。


黄金門

これは黄金門といって、いつの日かイエスキリストが再臨しエルサレムにこの門から入城すると言われている門。(オスマントルコにより、現在、門は閉ざされている)

白い墓

一番上の写真にも写っているけれど、黄金門の手前には、かなり広い敷地の墓地がありました。

それはイエスキリストが再臨される日にここからすぐに復活できるように、、、という備えなのだそうです。そして、ユダヤ人の中で(またイスラム人も)黄金門のすぐ前にお墓を持てることはよい地位を持っている人なのだそう、、、。

心に迫るのは、聖書のこの箇所。

〈マタイ23:27-28〉
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。


イエス様は、これらの白い墓を指しながら、このように語られていた。。。
イエスキリストは、心の中を見られる方。外側をどんなに取り繕ってみせても、心の内側、本心はどうなのか?と問われる思いです。

時代遺跡

エルサレムは崩壊を繰り返しているので、遺跡が地下にそのまま埋まっている。崩壊した街そのままの上に再建してきたので、町の中を掘っていくと、この写真のように遺跡が段となって出てくる。

嘆きの壁2

西壁、嘆きの壁。
ヘロデ王が建設した神殿を支える石壁の西側の部分。至聖所に最も近い場所でユダヤ人にとっての聖所となっている。ユダヤ人の方々が壁にむかって祈られています。

嘆きの壁

今回、神殿の丘に登ることができなかった。ここが一番ちかい場所でした。
登ってみたかったな。これは次回の宿題。
当時の神殿の丘の至聖所は、アブラハムの時代、アブラハムが神にイサクを捧げた場所と同じなのだと聞いて、心になにか柱が建つような思いでした。
そして、今の時代の神殿、聖霊の宮は、私達の心に建てられていることも心に刻みます。

エルサレム模型

イエスキリスト時代のエルサレム城内の模型。(といってもそれなりの大きさがあります)
当時の全景をみることができたのも、心に残っています。





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2014
05.05

カイザリヤ

Category: イスラエル
カイザリア2

2月11日
カイザリヤへ
青い空、青い海。太陽の光。
目を閉じてカイザリヤを思う時に目の前に広がる光景。
深く印象に残っている地。

カイザリア1

ここにはイスラエル最古の円形劇場の遺跡が残っていて、3500席ある大きな劇場。
この舞台の真ん中で歌うと、劇場の隅々まで響きわたるという。

『カルメル山で、預言者エリヤは主を見上げて祈り求めた時、
主は生きておられる神であることをあらわされ、
その地には大雨が降った。』

カルメル山から降りてきたばかりの私達の口には賛美が授けられて
主を見上げ、祈り、主の祝福を求めて
この円形劇場で賛美を捧げました。

カイザリア
♪♪♪
目をあけて、主の栄光を見よ。
高らかに、ほめ歌うたおう。
あなたを愛します、ハレルヤ、たたえます
♪♪♪
1.雨をふりそそぎ めぐみたもうと 神は愛をもて ちかいたまえり
※リフレイン 夕立のごと あまつ恵みを イエスよ 今ここに 注ぎたまえや

2.雨を降り注ぎ つよき音もて 眠る民の目を 覚ましたまえや ※リフレイン.

3.雨をふりそそぎ 神のことばの 変わりなきことを しめしたまえや ※リフレイン 

4.雨を降り注ぎ ひとりびとりに くすし なが業を 見させたまえや ※リフレイン
♪♪♪
カイザリヤ11

歌って祝福を注がれる人達もいれば、、
こちら聞いて恵みを受ける人達。。

神は昔も今も生きておられるお方。
この旅の中で何度そのことを体験したことでしょうか。
この瞬間のことも、強烈な印象をもって、光景とともに私の中に刻まれています。

カイザリア4

ここでポンテオ・ピラトの名前が刻まれた石碑が発見された。ローマ人のポンテオ・ピラトはユダヤ総督として任命を受け、平常時はここで生活し、過越しの祭りなどの時はエルサレムに出掛けていました。
(このカイザリヤはヘロデ大王がカイザルのために紀元前22年に建設し、ローマが征服しローマから送られてくる総督の居住地だった。)

カイザリア5

そして、ここはペテロを通して異邦人(ユダヤ人以外の人達)が初めてキリストを信じ、聖霊が下った地。

(使徒10:42-48)
イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。


カイザリア6

ここからローマへ舟で約1週間くらいとのこと。
使徒パウロはこの港から船でローマへ向かったんだなぁ。

カイザリア7

この日、伸之さんの体調もほぼ回復し、ツアーに復帰!

カイザリア8

真っ赤な大きなザクロ。
これを絞ってジュースにするとびっくりするほど美味しい!

カイザリヤ10

カイザリヤの近くにある導水橋。
カルメル山から水をひくために建設された。

カイザリア9

あ・・・導水橋の上に・・・
はんちゃーん!!
(旅の途中、時々ハンナに似てるワンコが現れてくれました♡)


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2014
05.02

カルメル山

Category: イスラエル
イズレエルの谷

2月11日
カルメル山へ

カルメル山にある修道院屋上より見渡したイズレエル平原。
厳粛な思いを持って、いつか来る時のことに目を向けなければと思わせられました。

エリヤ

これは、預言者エリヤの像。
このカルメル山で預言者エリヤはバアルと戦い、イスラエルの神こそが生きておられる真の神であることを民が知ることとなる。

第1列王記18:21,36-39
エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。

ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。
私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。
民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。


主こそ生きておられる神であると立ち返ったとき、3年もの間雨が降らなかったこの土地に大雨が降った。




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